【TEST】 「働きたくない」私の「はじめまして」
前回記事ではお粗末なあいさつになってしまいました。
さて、まずは「働きたくない」私、こと「しろこん」の自己紹介です。
「働きたくない」と言っても、いろいろあるとは思います。なので、私の「働きたくない」とはどういうことか。今日はそれを紹介したいと思います。
私は「働きなくない」
「仕事に就くにはどのような能力が必要か」「どんな人材を企業は求めているか」が問題ではなくて、そもそも「働く意味が分からない」。これが私の考えていることです。
決して「面倒くさいから」ではありません。
それ以前に、「仕事」「就労」というものがどうしても好きになれないのです。
・「働きたくない」とは
これは、少し偉そうですが、自分の中に「働く」とは何なのかの確固とした定義があり、それが許せなくて、「働きたくない」と言っている次第です。
「働く」とは何か。一言でいえば「自分以外の誰かに、ひいては社会に付加価値を生み出す行動」でしょうか。
これは要するに、「自分の中の利益や金(価値)にならない部分を否定されること」だと思っています。これが、私が「働きたくない」と言う理由の一つです。
そのために「仕事」の役に立たない自分の考えは矯正されなければならない。
そのために他人から批判、否定され、多くの苦しい経験や努力をしなければならない。さらに、それらを乗り越えて「成長できた」として喜ぶことができ、更なる苦難へと飛び込む人間であることが求められる。
私はそれが嫌で、許せなくて、「働きたくない」と思っているわけです。
次に、「人が付加価値や成果で測られることへの生理的嫌悪」
これは、「働くこと」に限らず、「人間関係」にまで発展する悩みだと思います。
人から認められるためには、認められるだけの人間であらねばならない、あるいはそうした人間にならなければならない。こうした考えが嫌いなのです。
人から認められるために、「成長」しなければならない。なら、こうした人間になることでしか認められないなら、いっそいらない。そう考えています。
次に、地味に重要かもしれない「怒られたくない」。
「否定」されることが耐えられない。
例えば、「キュウリが食べられない(実際は食べられますよ)」ことを注意されたら、「キュウリが食べられない自分を否定された」と考えてしまう、あるいは、注意してくれた人と距離を置いてしまう、というある意味極端な性格です。
そのためか、主人公が怒られたり、挫折したり、苦難に出くわしたり、名言なセリフが出てきたときに「自分には出来ない」と思わされることも苦手です。
漫画やアニメ、小説や映画などはほぼ見ません。唯一興味のある「ゲーム」も上のものが当てはまるなら敬遠するため興味の幅は狭いです。
当然、「インターンシップ」「一人の海外旅行」「社会勉強のためバイト」といった目に見えて「自分の無力が見える危険性のあるもの」に関しては近づかない危険な状態です。
「お金を稼ぐ」という状態に関しても「目標」がある、すなわち「目標非達成への否定」があるためどうしても好きになれないため、それも「働きたくない」原因でしょう。
最後に、恐らく最も重要なのが、「評価の対象となる」ことでしょう。
「働くこと」において、人は成果でしか見られない。「仕事できない」「使えない」と判断されたが最後、人からは相手にされなくなる。こうしたことが、本当に許せないです。
そうした人間とは話したくない。承認すらも不快に感じます。ましてや、そんな人間から認められるためにあのような苦痛な努力をしなければならないのか、と思うと怒りすら湧いてきます。
何より、「人を実力でしか、数字でしか見られない」。そうした「働くこと」の冷たさがどうしても受け付けません。「力ある者しか生きられないなら、弱者として滅びていい」とすら考えます。
優秀な「個体」でなく、「個人」として無条件に生きることが何故出来ないのでしょうか。
これらは「強く思っていること」であるのは確かなのですが、うまく言葉に表すのはまだあまりできないです。
・「働きたくない」のいきさつ
大学1年生での学園祭実行委員での出来事をきっかけに、授業で仕事や就活の話題が出るたびに「働くこと」「仕事」がどんどん嫌いになっていきました。
「働きたくない」と考え始めた大学2年生後半をきっかけに、「就職しない生き方」も大学生活の中で模索してきました。 でも、こうした人々も結局、何らかの形で『仕事』に関わっていると思います。
要するに、「仕事」に関わることはすべて嫌い、というある意味危険な状態にあるわけです。
一応、「働かなきゃ生きていけない」とは考えています。もし違うにしても、「自分の収入がないと不便だから」とも考えてはいます。
(…あ、なにも「これで食っていこう」なんてかんがえていませんよ
・進路選択に向けた行動(?)
「どうせ働くなら好きなことで収益を得たい」と考えたこともありました。しかし、最近になってそれは「『仕事』として『何かを課される』ことが受け入れられない」だけだったことに気が付いたのです
具体的には、「『働かなくていい』環境がある中でやりたいことが見つかって、それがゆくゆくは収入になってくれたらいいな」という考えで今までいました。
そのためか、「そうした環境はない」という現実がどうしても受け入れられない状態にいます。
要するに、「ものを『課されること』が嫌」とでも言えばいいでしょうか。
一応、「半年間だけ好きなことしていい」とは言われてはいますが今では何もやる気が起きない状態です…
結局、障害者手帳取得による年金取得、それに伴う障害者就労(不本意)に方向で進路は決まりました。
現在、コミュニケーション能力向上と就労への準備を兼ねてデイケアに通う方向です。
こうして上の「いきさつ」から「働きたくない」と思ったのは発達障害によるコミュニケーション能力の欠如が原因である。それが病院による診断結果によるものでした。
よって、コミュニケーションスキルの向上によって自己肯定感を取り戻していき、社会復帰の一助とする。これが、私がデイケアに行く理由のようです。
ただ、自己肯定感を「スキル」によって取り戻していく、という事には違和感があります。
言い過ぎかもしれませんが、
「コミュニケーションスキルのない自分は必要とされないのか?」
「コミュニケーションが得意でないなら、得意でない自分としては生きていけないのか?」
と考えるわけです。
以上が、今日私が話したいことです。雑な説明ですが、以上が「しろこん」の「働きたくない」の説明です。
しかし、前回続かなかったのもあって「ブログ」には負い目を感じています…。続くかなぁ…
【PRODUCED BY しろこん】
【TEST】 「働きたくない」私達の挑戦 BYしろこん
皆さん、初めまして。「しろこん」です。
このブログは、私「しろこん」と「エリカ」で協力してブログを書いていきます。